風は穏やかだった。
湿り気を帯びた空気がゆるりと動いていく、そんなような動きであった。
カーバケッティは折り重なった紙屑の上にうずくまってしばらく待ち、それから素早く立ち上がって道路を横切った。
黒と濃い茶と薄い茶とが混じりあった毛並みは夜闇に紛れ、見る人がいればただの黒猫に見えたかも知れなかった。
建物の間、路地とも呼べない隙間へ身を滑り込ませ、およそ30センチほどの幅をするすると軽やかに駆けていく。
水や、電気の線やらを通す管が入り組んだそこを抜けて、左に折れる。
少し先、コンクリートのブロックと金網の隙間を潜れば、そこには懐かしい古巣があった。
フェンスに囲まれた四角い広場。月明かりに白く浮かんで見えるのは一面の砕石で、その片隅には積み重ねられた廃材が、黒々とした景となって存在を主張していた。
「ああ、久しぶりだな」
この街にやってきて初めて居着いた場所。人も猫も来ず、静かな場所。
斜めに立てかけられたトタン板の隙間、自分がここに住んでいたときと寸分たがわず置いてあるそこに潜り込む。
もはやカーバケッティがかき集めたボロ切れや、新聞や雑誌なんかはとっくに無くなっていたけれど、静けさだけは変わらずにそこにあって、カーバケッティは満足そうに溜息を吐いて目を閉じた。
***
隙間から差し込む光に起こされ、カーバケッティは寝そべったまま体を伸ばす。
狭い隙間の中、なんとか尻から這い出ると、太陽はまだ低い位置にあった。
この場所に太陽が差し込む時間は短い。頂天を過ぎるころにはこの廃材置き場はほとんど影に覆われてしまう。
前脚、後脚と順番に伸ばし、顔を拭う。空気は冷たいが、どうやらカーバケッティの記憶にある冬に比べて暖かい。
「やっと戻ってきたか」
低い、落ち着いた雄猫の声が聞こえ、一瞬体が緊張するが、慣れ親しんだ相手と気づいて視線を巡らせる。
「やあ、ランパス。…まさか、俺を待ってたのか?」
良く日の当たる辺りに体を伸ばしていた白黒斑の雄猫が、頭だけを逸らしてこちらを見ていた。
「さあな」
カーバケッティを捉えているのか分からない程に細められた目をゆっくりとまたたいて、ランパスキャットは頭を正位置に戻した。
「まあ、いずれお前が来るだろうと期待していた事は確かだ」
「俺になにか用事か?」
「いや」
乾いた音を立てる砕石を踏んで彼の傍まで行き、腰を下ろした。
身を寄せあわずとも、ただ一匹で座っているよりは暖かいような気がした。
むずむずと鼻が疼いて、溜まらず欠伸をした。
「よせ、うつる」
鬱陶しそうに言いながら、ランパスもくぁ、と欠伸をした。
「今日は暖かいな」
「ああ」
それきり二匹は喋る事もなく、寄り添う事もなく、ただただ体に暖かさをため込もうとするかのように、日差しを浴びていた。
季節がめぐり、また新たな年がやってきたなどと知る由も無く。
今日も野良猫は日を浴びていた。