昼をだいぶ過ぎたころ。
カッサンドラの元へ、白黒斑の、若い雄猫がやって来た。幾分、意気消沈したような恰好で。
「…こんな恰好で、ごめん」
「どうしたの、あなた…」
大分落ち込んだトーンで告げるアロンゾの、その姿に、カッサンドラは絶句する。
毛並みは乱れ、泥がこびりついて日頃一筋の隙もなく整え得られた姿からは想像もできないほど、ぼろぼろになっていた。
「言い訳をするつもりはないけれど、聞いてくれるかな」
「ええ。怪我は、ないの?」
毛並みについた泥を落とそうと近寄るが、アロンゾはそれを尻尾一本分離れて腰を下ろすことで言外に断り、そのままずるずるとうずくまる。
「今日は、珍しく朝のうちに目を覚ましたんだ。
それで、少し足を伸ばしていつもの散歩より、遠くへ行ってみようと思って」
アロンゾは、普段なら大体昼ごろまで寝ているが、健全な明るい日差しのなかを歩くのは、時々ならば気持ちが良いものだ。
意味もなく浮いた気持ちで歩くうちに、うっかりと教会の方へ行ってしまった。
教会へ行くのは構わない。
たまには顔を見せなければデュトロノミーに忘れられてしまうかもしれないから。
問題は、仔猫たちがそのあたりを遊び場にしていることだ。
「教会は今、バラが咲き始めているんだ」
教会の垣根には、つつましく開きかけたバラのつぼみが露を含んでぽってりと赤く色づいて、どこかカッサンドラを想起させ、見目の良い枝を選んで彼女に見せてあげようと、アロンゾはバラの生垣にもぐった。
棘を刺すような間抜けな真似はしない。一匹ならば。
「夕べは遅くに雨が降ったろ? それで、教会の裏でチビどもが遊んでいたんだ」
ぺたぺたとぬかるんだ粘土のようになった地面に足跡をつけて遊んでいたパウンシヴァルとタンブルブルータスは、白黒の尻尾が生垣にもぐるのを目ざとく見つけると、顔を見合わせ、そろって後を追いかけ生垣に飛び込んだ。
「きみにあげようと思ったバラは、パウンシヴァルが食べてしまった」
「まあ」
「他の花は、まだきみに捧げるには未熟すぎた」
むしゃむしゃと花を平らげたパウンシヴァルになんてことをするんだと怒るアロンゾの様子を笑い、二匹は泥だらけの手足でアロンゾにじゃれついた。
「生垣の中は隠れるのには良いけれど、遊ぶ場所じゃないよな」
身を隠せばその棘は己を守ってくれるが、中で無防備に手足を振り回す仔猫の手足はすぐにちくちくと突かれ、泣き出した。
ぴいぴい騒ぐパウンシヴァルとタンブルを何とか生垣のなかから連れだし、説教をしようとすると、二匹はすぐに気を取り直して泥の中を駆け回り始めた。
「…で、そいつらを捕まえて一発ずつぶってやって、マンカスに引き渡してきたとこなんだ」
「それは、大変だったわね」
くすくすと笑うカッサンドラの脳裏には、仔猫二匹の元気な笑顔が浮かんでいるに違いない。
特にタンブルを可愛がっている様子だから、微笑ましく思っているのだろう。
「カッサ…俺は、あいつらにひどい目にあわされたんだよ?」
「ごめんなさい。…でも、可愛らしくって」
あれが可愛いものかとアロンゾはふてくされて、後脚で体を掻き毟った。
少し乾いた泥がぽろぽろ落ちる。
「公園に行きましょう。水に浸かれば、すぐに落ちるわ」
「水…」
「それとも、ずっと泥のままでいるの? 私の前で?」
鼻の頭に皺を寄せるアロンゾ。
カッサンドラの前にこんな姿をさらしているこの状態でさえ、アロンゾにとっては苦痛に近い。
確かに乾いた泥は一晩中引っ掻いたって落ちやしないだろう。
かといって、水に触れるのは気が引けた。
「大丈夫よ。まだ日はあるし、それに、私も手伝ってあげるから」
水の中で泥を落とせば、あとは乾かすだけの単純作業だ。
風邪を引く恐れはあったが、カッサンドラの言う通り、まだ夕暮れには少し早く、日差しを受けていれば暖かいだろう。
「…手伝ってくれる?」
「勿論よ。他に、誰が手伝うっていうの」
優しく微笑むカッサンドラの言葉に、不謹慎な雄猫はうっかりと美しい雌猫達の顔を思い浮かべてその手があったかと思ってしまったが、笑ってごまかし、連れだって公園へと歩いていった。